今治より、日々のこと

2016.07.25

おばあちゃん。

 

ぼくが 幼稚園の頃、

祖父の後を引き継いで

 

宮崎タオルの社長をしていたのを思い出します。

 

製品の企画に携わっていた印象はありませんが、

経理面で 仕事を活発にしていた様子です。

 

お金を 大事に扱うことを 教えてもらいました。

 

 

が、 たくさんのおもちゃを 欲しいだけ買ってもらって

親に いつもおこられていた思い出があります。

 

 

高松から 今治へ 嫁いできて、どんな人生だったのかな。

高松に居れば、また 違った人生が 描かれていたんだろうな。

 

高松の前田村という所にあった、 山田製糸という工場の工場主

山田恵一の 長女でした。

山田製糸は シルクの製造で四国では一番大きな規模だったようです。

 

シルクの紡績と 今治の綿布工場 どこで繋がったのかな。

 

もう 何もわからないけれど、久しぶりに 高松の郊外

前田村に お墓参りにむかいたいと思います。

 

 

山田恵一  大正・昭和期の実業家 貴院議員